病気の快復度を本で診る
やっと病気が快復した。
短くも長い道のりだった気がする。
私にとって病気で寝ているとは、静かに本を読めることである、という頭がある。
そもそも子どもの頃、熱を出して寝ていた時に、母親に絵本を読んでもらった記憶があるが、それを引きずっているのかもしれない。
でも大抵の場合、本を読む余裕などまるでない。
読めるのはもうほとんど治ったと思われる日の数時間程。
今回の場合も、そうなることはわかっていた。
にも関わらず、とりあえず目の前に散らばっている数冊をかき集め、枕の横に置いた。
あるブロガーの方が次のようにコメントを書いてくださっていた。
「本を絶つ覚悟で、御静養ください。」
この期に及んで本を読もう等としていた自分が少し恥ずかしかった。
ちなみに倒れた当日、枕の横に置いた本は触らなかった。
苦しみにのたうち回って目にも入らなかった、というほうが正しいか。
次の日、本が少し気になり始めた。
しかし目はすぐに別の方へと視線をそらし、手は本を取ろうとしなかった。
その次の日、やっと本を一冊、取ることが出来た。
でも開いた瞬間、目に活字が矢のように飛んできた。
すぐ伏せた。
またまた次の日、だいぶ活字にも慣れた。
しかし頭に入ってこない。症状の下痢のごとく、サッとそとへ抜けていった。
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そうして今日、やっと普通に読むことが出来るようになった。
病気の快復よりも本を読むことが出来る方が嬉しいか?
というとそれはやっぱり快復の方が嬉しい。
なぜなら本は健康体で読むのが一番楽しめるからである。