読書はリズムに合わせて
読書は読者が積極的に参加しないと面白くないのは既に誰しも知る所。
あと、(特に小説で)忘れてはいけないのはその本に合わせたリズムで読むことが肝心なこと。
これをまさに痛感したのがこの本。
伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」祥伝社文庫
私の初めての伊坂作品(ちなみに初祥伝社文庫でもあった)。
これが面白い本であるというのは既に他の多くのブログでも書かれているので、あまりそのことには触れない。
あえて言うならば私は他の方が面白いと思っている度合いの(おそらく)半分程度にしか面白いと思えなかった。
誤解のないように書けばつまらない本ではない。
面白い本である。
ではなぜ半分程度にしか楽しめなかったのか。
結局の所、この小説のもつリズムに合わせて読むことが出来なかったから。
タイトルに「陽気」とあることからもノリが肝心であることは間違いない。
しかも裏の紹介文には
「ハイテンポな都会派サスペンス!」
とある。
だから、
牧場からは牛がモーと鳴き、てふてふがひらひらと前を通過していく。
そんなのどかな風景を前に、
「ぼちぼち読んでみるかのぉ。」
という本では全くない!!
(ここでも誤解のないように書けば、もちろんそのような状況下では楽しめる本ではない、なんてこと絶対にない。)
この本は「ハイテンポ」なリズムに合わせて一気呵成に読んでこそ、その面白さを十分に堪能出来るのである。
それなのに...、わかっていたはずなのに...、私は細切れ時間に少しずつ読むことになってしまったのである(少しばかり別の方へ責任転嫁)。
そうするとどうなるか。
細切れで読むので、次に読む時に前がどうだったか忘れてしまい、自然とじっくり読む。
すると伏線と思われるところがハッキリ見えすぎて、その後の展開がある程度読めてしまう。
登場人物のセリフも、熱く語っている部分も冷静に読んでしまうために浮いたセリフに読めてしまう。
このようになんともおかしなことになってしまう。
こう書いてくると、
「この小説はつまらない」
といっているように思われるかもしれないが、それは全く違う。
(リズムさえ合わせて読めば)すごく面白いのである。
前半で張られたいくつもの伏線が、後半にいくに従い奇麗に効いてくる。
この小説に関する自分のイメージは洗練されたライブパフォーマンスだった。
何もない所につぎつぎと小道具を用意したかと思ったら、知らないうちにパフォーマンスが始まっていて、観客をどんどん魅了していく。
最後はピタッと決めて拍手喝采。
パフォーマンスの間、使い終えた小道具は次々と消えていき、拍手喝采の頃には奇麗に跡形もなく片付いている。
それでも何か片付け忘れていると感じた所。
それはきっと第二ステージで使われることになるはずのものである。
だらだら書いてしまったけれど、以上のことをまとめるとこうなる。
この小説を読んでいない人は出来るだけ早く買いにいくこと。
そしてこの小説のテンポに合わせて出来るだけ速くよむこと。
以上。