「雪国」の成立過程を調べる。
少し大袈裟なタイトルになってしまったのですが、たんなるメモレベルです。
それは遡ること3ヶ月前(あっという間だったような)。
Yahoo!ブログ「不良サラリーマンの日記」のkatatsumuridonoさんの記事で、気になることが。
今、一般によく読まれている川端康成の「雪国」は、
『「続雪国」という形であとから付け足されていた』
というのである。
これが世間の常識だったらすみません。
私には初耳だったのでそのようにコメントしたら、katatsumuridonoさんに「図書館に勤める者ならばもう少しその辺りをしっかり調べてください...云々」という「ニュアンス」の宿題を言い渡されたのでした。
ということで、本題。
「雪国」の成立過程はこれだ!
最初に「雪国」として単行本化されたのは昭和12年6月、創元社から。
これは次にあげる7つの作品をまとめて改稿されたものである。
1.「夕景色の鏡」(「文藝春秋」昭和10年1月号掲載)
2.「白い朝の鏡」(「改造」昭和10年1月号掲載)
3.「物語」(「日本評論」昭和10年11月号掲載)
4.「徒労」(「日本評論」昭和10年12月号掲載)
5.「萱の花」(「中央公論」昭和11年8月号掲載)
6.「火の枕」(「文藝春秋」昭和11年10月号掲載)
7.「毛毬歌」(「改造」昭和12年5月号掲載)
1を見てわかる通り、そもそも「雪国」は最初は「雪国」ではなかった!!
ちなみに「雪国」というタイトルが生まれたのは4が書かれてのち。
それは昭和10年の
『十月二十三日付で、越後湯沢から「改造」の編集者水島治男に充てた手紙』に、『この小説は「雪国と題し、来年二月、もう一度ここに来て、最後を書きます。...』と書いてあったことからに依るもの。
そしていろいろ事情が重なって、のちに5〜7が書かれた。
しかし実はまだこれでは終わっていなかった。
のちに、
8.「雪中火事」(「公論」昭和15年12月号掲載)
9.「天の河」(「文藝春秋」昭和16年8月号掲載)
と書いて完結。
と思ったら、8と9をさらに
10.「雪国抄」(「暁鐘」昭和21年5月号掲載)
11.「続雪国」(「小説新潮」昭和22年10月号掲載)
と書き直して『一応の完結を見た。』
ではいわゆる現在の定本「雪国」はいつ完成したか。
これは上記の1〜11をまとめたものから、更にいくつか川端康成自身の手が入って、新潮社から昭和55年の4月に刊行された三十七巻本の「全集10」に収録された作品とされている。
最初の1から定本にいたるまでにおおよそ45年経っていることになる(!)
ちなみに1における出だしは、かの有名な
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』
ではなかった。
これは最初に単行本となった際に書き改められてうまれた文章である。
こうしてつらつら調べてみると「雪国」がたんなる連載をまとめただけの作品ではないことがよくわかった。
定本と上記の掲載時の作品とを比較しながら読むのも面白いかもしれないと思った。
参考・引用文献
(1)「雪国」川端康成 岩波文庫
(2)「川端康成全作品研究事典」羽鳥徹哉・原善(編) 勉誠出版
(3)「国文学解釈と鑑賞」別冊『川端康成「雪国」60周年』 至文堂